5世代目のネブラスカ州住民デル・フィッケは、1986年に不耕起栽培に切り替えた。その1年後、そこから16キロ圏内の農場すべてがそれに倣った。Photo: Del Ficke
5世代目のネブラスカ州住民デル・フィッケは、1986年に不耕起栽培に切り替えた。その1年後、そこから16キロ圏内の農場すべてがそれに倣った。Photo: Del Ficke

耕うんをしない農場

By アンドリュー・オライリー   |   2020/04/16 2020年4月16日

デル・フィッケは土壌マニアだ。

「本当にいい土にはじめて触れたとき、それはまるで興奮剤のようなもの」と彼は言う。手に取ると、それがどんなにいいかが分かる。匂いや味まで感じることができる。もっと欲しいという気になるんだ」

52歳のフィッケは丸刈り頭で、おしゃれなメタルフレームの眼鏡とポロシャツを着用し、がっしりした体つきだ。ソルガム、トウモロコシ、その他の穀物でいっぱいの畑よりも企業の会議室の方がふさわしい人物に見える。しかし彼はネブラスカ州に住む5世代目の農家で、1869年に彼の祖先が入植者としてたどり着いて以来、同州リンカーン市郊外の緩やかな起伏のある粘土質のこの土地をずっと管理してきた。彼はアウトドアに対する愛をもって育ち、幼いころから大地を尊重することの大切さを教わった。彼の土壌に対する思い入れがしっかりと根付いたのは1986年だった。3つの郡にまたがる数千エーカーの農場の仕事でつねに時間不足だった彼が、父親に農地の100%を不耕起栽培にするとどうなるか試すように説得したときだった。

「不耕起栽培」は、介入を減らすことが作物により良いという考えに基づいており、リジェネラティブ・オーガニック農業の特質のひとつだ。これはとくに表土再生、生物多様性の向上、水循環の改善、土壌の健康の強化、気候変動に対する作物の回復力の向上に焦点を当てた農業への取り組みである。耕作は収穫高を上げるためにトラクターやカルティパッカーで土地を一気に耕すことだが、将来的には土が圧縮されて痩せた農地になる、という代償を支払う。リジェネラティブ・オーガニックの不耕起栽培方法は、土壌を乱さないよう毎年無干渉であることが必要となる。不耕起技術の利点には、浸食またはトラクターによる耕作によって土壌が失う水分、栄養素、そして不可欠な有機物質を保持するなどがある。これにより、土壌は植物病に罹りやすくなるものの、その生物学的肥沃度も向上し、長期的にはより回復力の高い健康な土壌となる。そのまま残されている手つかずの野生地の土壌が豊かな理由はそこにある。

フィッケは牧草とトウモロコシを2つの目的で栽培する。それは畜牛の飼料としてだけでなく、土壌に水分や栄養分を蓄えることに役立つ被覆作物も兼ねる。Photo:Del Ficke
フィッケは牧草とトウモロコシを2つの目的で栽培する。それは畜牛の飼料としてだけでなく、土壌に水分や栄養分を蓄えることに役立つ被覆作物も兼ねる。Photo:Del Ficke

不耕起栽培の恩恵を得るまでに長く待つ必要はなかった。周辺の農地で大損害を引き起こした大干ばつの直前にこの手法を実施したからだ。フィッケ農場の不耕起土壌は、周辺の農場の1エーカーあたりの収穫高がわずか12ブッシェルだったのに対し、1986年には77ブッシェルのトウモロコシを生産したのだ。「僕らが不耕起栽培を実施した翌年、ここから16キロ圏内の農場すべてがそれに倣った」とフィッケは語る。「その年、僕らがとてもよかったので、皆がこれに従ったんだ」

干ばつがなくても、不耕起栽培は農家の時間とお金を節約する。「不耕起栽培は時間だけでなく、水分も大きく節約する。灌漑を行わないため、水分を維持することは非常に大切だ。さらに燃料も節約され、耕うん機や大型で高価なトラクターを購入する必要もなくなる」

リジェネラティブ・オーガニック農業の初期の成果、そして周辺農家に参加を説得したにもかかわらず、農業の権威層からの抵抗により、彼は実験を見合わせることになった。これは有機農産物が大きな注目を浴びる物議を醸し出す前の話であり、当時の農業界は大規模な農場、大きな収穫高、大きな経費を重視していた。そしてそれはいまもさほど変わらない。作物を栽培・育成させるためには化学薬品と肥料を使用する必要があり、ネブラスカ州農業局の広告に見られるような緩やかな起伏のある田畑を維持するためには、最新のトラクターやその他の機械が必要であり、家畜の飼育手段を工業化することは、ごくわずかな利益によって運営されている業界で利益を上げる唯一の方法だと農家たちは教えられてきた。

「懐疑的な人や反対論者はありとあらゆるところにいた。とくにこのシステムに組み込まれた人は」とフィッケは語り、多くの農家はいまでも「犯人(つまり化学薬品や新しい機器を押し付ける企業)に心を捕らえられたストックホルム症候群」のようなものだと付け加えた。

1990年代後半、フィッケは農業から離脱することを強いられた。それはアメリカ人が農業をどのように捉えているのか、そしてそれをよりよく改善するにはどうしたらよいのかに開眼する好機となった。椎骨2つの骨折を含む、度重なる背中の怪我と手術によって農作業が耐えられなくなった彼は、1999年には傍観者にならざるを得なくなった。学業に戻って放射線学と病院管理の学位を取得し、最終的にはリンカーン市の診療所の管理職に就いた。リンカーン市でのこの時代に、フィッケは視野の狭い農業界の外の人びとと接触し、すべての人が彼の家族の職種に対して彼同様の敬意を払っているわけではないことに気づきはじめた。

 フィッケは700エーカーのリジェネラティブ・オーガニック農場を「丘と岩」の集まりだと苦笑いして言う。彼はここで余計なことをせず、任せきりにすることの報酬を証明する。Photo:Del Ficke
フィッケは700エーカーのリジェネラティブ・オーガニック農場を「丘と岩」の集まりだと苦笑いして言う。彼はここで余計なことをせず、任せきりにすることの報酬を証明する。Photo:Del Ficke

「多くの人びとが農家や業界が使用する強硬な手法をあまり高く評価していないことに気づいた」と彼は語り、動物福祉、また野菜に農薬を使用することについて人びとが抱いている懸念に、とくに言及する。「世間の否定的な見識は僕にとって大きな驚きだった。そしてもっと上手にやらなければならないこと、それができることに気づきはじめたんだ」

フィッケは徐々に農作業へ復帰しはじめ、1980年代半ばに彼の家族の農地に不耕起栽培を導入して以来、頭の中で思い描いていたリジェネラティブ・オーガニック農業の考えを実行しはじめた。この過激な行動はシンプルではなく、彼がリジェネラティブ・オーガニック農業初期の経験だと割り切った試行錯誤の期間があった。彼はリジェネラティブ・オーガニック農業に転向を考える農家に対して、それについて学習し、彼のようにすでにこれを実施している指導者に質問することを躊躇しないよう呼びかけている。

この世界はすべてが循環している。だからいたらないところは全部僕の責任だ。昔に戻れるなら、他の人たちがやっていることをもっと一生懸命勉強しただろう」と彼は言う。「どんな失敗も学習とみなすが、それが安いものではないことを僕らは知っている」

フィッケが最初に不耕起栽培をはじめてから30年以上が経ち、彼の家族農場はネブラスカ州の他のほとんどの農場とは似ても似つかない。フィッケは保有地をわずか700エーカーに減らし、これを「丘と岩」の集まりだと誇らしげに言う。彼の操業を構成していた数郡にまたがる数千エーカーの農地の大半はなくなった。さらに数々のトラクター、プラウ、コンバイン収穫機、光沢で輝く貯蔵ビン、農地を維持するために一見必要と考えられるその他の機械類も消えてしまった。耕作機械の削減に加えて、彼は畜牛の運営をより管理しやすい規模に削減もし、被覆栽培、間作、家畜の放牧など、その他数々の環境再生的な過程を導入した。農地のほぼ4分の3を削減することは非生産的であるように思えるが、リジェネラティブ・オーガニック農業の統合後、利益は70%増加したとフィッケは言う。

「削減すること。それが僕のやりたかったことだ」と彼は言う。「規模を縮小しても、同等またはそれ以上の金を稼ぐことができるが、もっと大規模に行いたい人はさらに広い土地の土壌に対してよいことをすることになる。より多くの人が農業をする機会を得ることを望んでおり、規模を縮小することで僕はそれを可能にしたんだ」

 フィッケは牧草と干し草ベールを飼料として家畜を放牧し、牛糞と尿の形で土壌に回帰させる。Photo:Del Ficke
フィッケは牧草と干し草ベールを飼料として家畜を放牧し、牛糞と尿の形で土壌に回帰させる。Photo:Del Ficke

フィッケは牛舎と肥育場を放棄し、牧草と干し草ベールを飼料として家畜を放牧することを選んだ。彼は保有する農業機械を干し草の移動に使用するトラクター1台だけに減らし、不耕起技術と大量の牛糞のおかげで、肥料と除草剤の使用を大幅に減らすことができた。現在フィッケは牛糞と尿を使用したことで作物肥料への依存を95%削減したと推定しており、「救援植物」と呼ばれるものにだけ除草剤を使用している。

「被覆作物の使用、動物の影響の分析、ミツバチの保持、畝作物の農地と牧草地の循環、鶏や豚などの複数種の追加、果樹の栽培と植え付けなど、できる限りすべてを再生型にしている」とフィッケは言う。「リジェネラティブ・オーガニック農業が唯一の道だ。土壌を再生すると魂も再生され、地球上のすべてのものが恩恵を受けるんだ」

フィッケはリジェネラティブ・オーガニック農業を実施して以来、家族農場における驚くべき変革を目にしてきた。農業に対する自由放任的な取り組みより、厳しいスケジュールから解放されることで生まれた余裕のおかげだ。彼はこの朗報を広めたいと思っている。

「夜明けから夕暮れ(ときにはもっと遅く)まで働く夫に会えないという妻たちと話をする機会が多くある。農業をしているそのような夫たちよりもひんぱんにね」と彼は言う。「僕はどのように社会を正せるかという哲学的なやり方をしている。土壌を直せば、家庭も直せるんだ」

多くの農場を訪れて、大規模農業のロビイストと営業担当者が農家と米国連邦議会の両方に対して有する影響を見てきたフィッケは、リジェネラティブ・オーガニック農業がこの国の基準になるまでにはまだ長い年月がかかると思っている。それが可能だとすれば、だが。しかし彼はまた農家がその土地に再生技術をたったひとつ導入するだけで、収穫量が大幅に向上し、今日の近代農業技術にともなう多くの環境への危害と土壌の劣化を改善できると信じる。「有機農場に100%する必要はない」とフィッケは言う。「世界中のすべての農家が農場のわずか10%でもリジェネラティブ・オーガニック農業に切り替えれば、この問題を解決できるだろう」