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パドルと苦しみとスキー

ジャスパー・ギブソン  /  2019年12月17日  /  読み終えるまで11分  /  スノー, アクティビズム

川の中ほどに出ようと、薄い氷を突き破って進むカトリーナ・ヴァン・ウェイク。Photo: Jasper Gibson

ディーゼルエンジンのうなり音がやがて聞こえなくなり、私たちに新たな孤独を残していく。あるのは、私たちと、凍った川、カヤック(山スキー用ギアやキャンプ道具、5人分の食料、そのほかバウンダリー山地で過ごす18日間に必要な装備が満載されている)、そして何百キロにもわたる、住む人もいないブリティッシュ・コロンビア北部の自然だけだ。240キロメートルのスティキーン川とスティキーン氷冠が行く手に控えている。

私たちは、テレグラフ・クリークからアラスカのランゲルに至るスティキーン川の下流域をカヤックで進み、道中で川のそばにそびえる高山にアクセスし、いくつかの山の頂からスキーをしようとしていた。140キログラムもあるシーカヤックを、薄くなってきている氷を超えて、凍っていない川の流れまで移動させることが私たちの最初の挑戦だった。岸に近い不安定な氷を通り過ぎると、凍結した川の上では舟を簡単に滑らせることができる。カヤックを引いて1.6キロメートル弱進み、凍結していない最初の流域に出ると、私たちは川下に向かってパドルを開始した。

パドルと苦しみとスキー

立ち寄った地元の魚類生物学キャンプでは、住民が次々とビールやウイスキーを振る舞ってくれた。その後、あっと言う間に日が暮れていく。温泉地までたどり着こうというチームの目標もビールを飲むたびに早々に薄れ、近くでキャンプを設営した。後で知ったのだが、そこはグリズリーで知られるエリアだった。Photo: Jasper Gibson

初日は一日中、断続的に続く凍結した箇所を避けながらの移動や、カヤックの牽引からパドルへの切り替えが繰り返し私たちの歩みを止めた。進行はゆっくりだが、着実だった。太陽の光が陰りはじめると、私たちは最初のキャンプ地を探すことにした。夕方、その日の最後となる川の湾曲部を回り込んだとき、私たちの視線は、遠くに壁のように見えるギザギザの輪郭を描く花崗岩の峰々にくぎ付けになった。私たちが横断しようとしている山脈への入り口を守っているかのようだ。

スティキーン川はトリンギット語でShtax’héenとして知られている。トリンギット族は、川の下流域に住む人々で、果実やサーモンを求めて川を遡り、上流域のタールタン族と交易をしている。どちらもこの川沿いで、何世紀にもわたり自給自足を続けてきた。上流域は、ファースト・ネーションのタールタン族にとって文化や宗教、そして生活の中心であり、4本の偉大な川、スティキーン、スキーナ、フィンレイ、ナスの源となる場所「セイクリッド・ヘッドウォーターズ(聖なる源流)」の一部でもある。私たちは彼らのホームエリアの通行と、できれば壮大なスキー滑降を望んでいた。ブレンダン・ウェルズ(ビデオカメラマン)、カトリーナ・ヴァン・ウェイク(女性クラッシャー、全方面で最高)、エリック・ジョンソン(旅のリーダー、主催人、やる気を起こさせる人)、ケント・クリステンセン(私たちの中で一番のスキーヤー、見た目は控えめな男)、そして私を含めた5人は、この川の物語に加えられたいと願っていた。

コーヒーの香りが朝の冷たい空気に漂い、私たちを寝袋から引っ張り出した。2時間後、カヌーに荷物を載せ、満腹になった私たちはドライギアを身に着けると不安定な氷のセクションへと出発した。誰もがどこかの地点で氷を踏み抜いた。幸いなことにさらに下にある氷の面が、低体温症を引き起こす水温3ºCの川への完全な沈没から私たちを守ってくれた。1時間奮闘して400メートルのこの区間を横断した末、私たちは凍結していない流域に出た。この旅では、この先氷を渡ることはないというしるしだ。最初の障害は乗り越えたが、容赦のない向かい風が下流への進みを遅らせ、道のりを長く、困難なものにしていた。

パドルと苦しみとスキー

スティキーンの高山への登りがスムーズにいくことはめったにない。凍結した土、老木の森、ハンノキ、技術を要するスキニング、そして急峻な地形が滑降場所への到達を困難にする。Photo: Jasper Gibson

2日目、安定した追い風のおかげで素早く距離を進められ、風景は飛び去るように、高地凍土帯のなだらかに起伏する乾燥した草原から、次第により驚異的な山々の頂へと変わっていった。スキーヤーとしての気持ちが高まり、川が曲がるたびにその後ろから現れる急傾斜地で滑降する可能性を考えた。無限にも思える選択肢について話し合い、私たちはさらに下流へと進むことに決めた。スノーラインが川に到達し、高山へのアクセスがより簡単になるだろうと期待したのだ。成長の悪いハンノキが生えた、雪に覆われた島がその晩の家となった。3日目は、山に挑む最初の日となるだろう。

朝は火の玉の噴出で始まった。ジョンソンが食事を温め始めた時に小枝と無鉛ガソリンに火が付いたのだ。午前5時30分。太陽の最初の光が高い山の頂を照らす。私たちはコーヒーとオートミールをかき込むとスキーを履き、アバランチギアやロープ、ハーネス、アイゼン、ピッケル、キャンプ用品、そして3日分の食糧を詰めた重いバッグを背負って歩きはじめた。

キャンプからの出口になる平坦で凍った川底のおかげで、スキニングは楽で効率がよかった。2つの川を渡り(そのうちの1つではスキー靴とソックスを脱がなければならなかった)、私たちは地獄のようなハンノキの森を登りはじめた。体を引き上げ、這って進み、ようやく垂直距離で150メートルのハンノキの急斜面を通り抜け、下木がほとんどなく、雪はさらに少ない壮麗な老木の森にたどり着いた。スキーを担ぎ、凍った森をブーツで登って行く。森の傾斜は一足ごとに険しくなった。私たちはこの登りを「フォレスティニアリング」と名付けた。マウンテニアリングの、深い森の中を行くバージョンだ。この作業に最高のツールはウィペットだった。私たちは手にしたウィペットを、時には軽く、しかし多くの場合は攻撃的に木に引っかけて、凍った土によく効く「密着性」を加えていった。やがて急峻な森が高山へと開け、再び楽にスキニングできるようになった。

高山ベースキャンプを設営する場所を探し、傾斜地の横にある、保護された風下の棚地を見つけた。私たちはテントを張り、調理場を作ると、報奨として相応しい食事を手早く用意した。夕刻の光が淡い色彩で輝いていた。眠る準備ができたとき、光はまだ空に残っていた。

パドルと苦しみとスキー

第2の高山ベースキャンプからスキニングするカトリーナ・ヴァン・ウェイクとケント・クリステンセン。不安定な積雪状態と強力な冬の嵐が、グループのこのエリアでの滑降を不可能にした。Photo: Jasper Gibson

ブレンダンがテントの入り口をめくった。周囲の山に13センチほどの雪が新たに降り積り、灰色の雲が川のように静かにスティキーンの上に垂れこめている。私たちは、スコットシンプソン山の西尾根にある北向きの600メートルの斜面を選んだ。小さなパックで身軽になった私たちは、目標に向かって真っすぐに、稜線に沿ったルートをゆっくりと進んだ。しかし、スコットシンプソンに到達するためには急勾配の120メートルの斜面を越えなければならず、ジョンソンとクリステンセンがピットを掘り、積雪状態を確認した。安心できる結果が出た。私たちはこの小さな丘の上に立った。ケントが見事なGSターンを決めながら、狭い急斜面をロケットのように滑り降りて行く。続いてジョンソンは優雅な滑降を見せ、次は私、カトリーナ、そして最後がブレンダンだ。

スキーで素早くトラバースし、私たちは大きな斜面のふもとに到着した。靴にアイゼンを付け、スキーを背負うと登りはじめた。エリックとケントが道中をずっと交代で先導を務め、腿にまで届くポストホールを新雪に掘り、遅れをとっていた私たちのためにブートパックにしてもらった。斜面は急峻さを増していき、最後の30メートルでは実際に反り返り、険しいスノークライミングへと変わった。エリックとケントは前進すべきかを話し合い、進むことに決めた。ジョンソンは自信を持って60度の窪んだ雪塊を登って行く。雪塊には隠された岩があちらこちらにあり、しかも600メートル下へ滑落する可能性がある。絶壁を越えるとジョンソンは、足を高く上げる熟練の動きで頂上に到達した。すぐにケントが続く。2人はアンカーを設置すると、残された私たちのためにロープを垂らした。

パドルと苦しみとスキー

レスキューが保証されていない場所ではミスを犯すという選択肢はなく、パートナーが命綱になる。あらゆる物から遠く離れたスコットシンプソン山でエリック・ジョンソンは、「忌々しい山のクーロアール」へとアプザイレンしていく。下は数百メートルという危険な高さだ。Photo: Jasper Gibson

全員が頂上へ到達すると、私たちはむき出しの突き出た岩にスリングをかけ、そこにカラビナを付けて、ライン上を懸垂下降した。そこは55~60度の傾斜があり、下の山まで数百メートルもある場所だった。ジョンソンはこのラインを4年もの間夢見つづけていた。最初に滑るのは彼が相応しい。ジョンソンはドロップインすると、軽やかなターンをしながら新雪に覆われた斜面を降りて行く。雲のような冷たい雪煙を舞い上げ、背景には幅の広いスティキーン川が曲線を描いている。描くラインは重要ではなく、彼が「忌々しい山のクーロアール」と呼ぶ場所で初めて滑降する喜びを表していた。1人また1人と、残りのメンバーもその斜面を滑り降りた。ハイタッチ、歓喜の叫び、そしてハグが、ラインの終わりで得られた報酬だ。全員にとって、今までに滑ったなかでも最高か、少なくとも最良のラインの1つ。それが私たちの結論だった。

パドルと苦しみとスキー

思い描いたライン。何年も具体的に考え、何カ月も準備した後、探検旅行に出てほんの数日で、エリック・ジョンソンは「忌々しい山のクーロアール」で最初の滑降を実現した。Photo: Jasper Gibson

翌日は勾配の緩い斜面でのパウダースキーに専念し、その翌朝キャンプをたたむと雨が降る中を急勾配の深い森を抜けて下山した。川のベースキャンプに戻ると私たちは、ぐっしょりと濡れたギアを乾かし、日が暮れると寝袋にもぐりこんだ。朝が来た。32キロメートルのパドルでは、温かい温泉と巨大なトウヒの木が、スティキーンの特徴である断続的な雨からの避難所として私たちを助けた。私たちは濡れて骨まで冷え切った体を、手作りのぬるい水たまりに浸した。

パドルと苦しみとスキー

高山での厳しいミッションの後は、少しのビタミンR(レーニアビール)と、手作りの泥だらけな温かい水たまりでの入浴を越えるものはない。スティキーンでのリラックスタイムで裸になるエリック・ジョンソン。Photo: Jasper Gibson

その翌日は、重い荷物を引きずって移動したり、酒を飲んだり、誰もスキーをしてない珍しい場所を探したり、1列に並んで移動したり、テントを張ったりした。そして雪崩も起きた。ピットを掘ると弱層が見つかり、周囲のよだれが出そうなクーロアールを滑降できるかを皆で相談した。私たちの下で雪が遅れて崖から落ち、雪崩が発生する。スティキーンの大地まで、私たちを真っすぐに道連れにしかねない。この雪崩が、その斜面でのスキーは避けるべきだと私たちに確信させた。私たちは180度方向転換するとその晩はキャンプ地へスキーで戻ることにした。雪塊が安定し、翌日の天気がいいことを願いながら。ところが、目を覚ますと、激しい風と雪が絶え間なくテントを叩き、近付きつつある嵐がその姿を見せはじめていた。カトリーナが衛星通信機を手に取り、最新の天気情報リクエストを送った。予報は、しばらくの間続く高い降水量と突き刺さるような強風を示していた。この旅では、もうスキーをすることはないだろう。しかし、神秘的な温泉や寛大な地元住民、新鮮な魚、巨大な氷河、グリズリーが多く住む領域にあるキャンプサイト、1匹のアシカとの出会い、そしてガーネット探しを経る旅は続いた。

あとがき:スティキーン川の流域は、計画されているガロアクリーク鉱山によって危機にさらされている。この鉱山プロジェクトは、私たちが滑降したスコットシンプソン山の斜面からたったの6.5キロメートルの場所に予定されている。すでにすべての環境的な許可を得て、現在は遂行に向けた十分な資金が得られるのを待っている。もし計画されている鉱山が予定通りに開発されれば、世界でも最長の露天掘り鉱山の1つとなり、回復不可能な損害をスティキーン川やイスカット川の源流に与えるだろう。下流域にあるコミュニティの健康と幸福、サーモン養殖場、スティキーン川の水質はすべてこの近視眼的な鉱山計画による直接的な脅威にさらされ、その計画で利益を得るのは鉱山会社、投資家、そして一部の個人だけだ。

詳細および活動への参加は、www.seacc.org/stikineをご覧ください。

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