日本支社30周年に寄せて:パタゴニアのアーリーメンバーズとともに
パタゴニア日本支社が設立され、ストア1号店が東京目白にオープンしたのは1989年10月某日。数日遅れて、その地下に「カラファテ」もオープンした。1階のパタゴニアではウェアを売り、カラファテでは主にクライミングとバックカントリー・スキーのギアを売る、上下で機能する兄弟のような店だ。この両者をプロデュースしたのはパタゴニア社主イヴォン・シュイナードさんが日本で最も信頼を置いている友人・坂下直枝さんだ。
先日、1階のパタゴニアスタッフに創立時に近い頃に撮った写真(イヴォンさんと私のツーショット)を見せた。第一声が「エエエッ!若~い!!2人とも」だった。パタゴニアとカラファテの進化を並べるのも恥ずかしいが、30年の歳月が二人の細胞をくたびれさせた…ことは間違いないだろう。
オープンして数年間、イヴォンさんは度々日本を訪れた。その時には必ず地下のカラファテにも降りて来てくれた。だぶついたズボンの両ポケットに手を突っ込みながら、ちょっとはにかむような顔をして「ビジネスの調子はどうだい?」と尋ねてくれる。こちらはきまって「ご覧の通り静かな毎日です。これから良くなるはずです。メイビー・・・」と答えていたものだ。
現代のようにSNSはおろか、人々の家にはもちろん店内にもパソコンがない時代だった。広告戦略といっても専門誌が頼り。まして、クライミングとテレマークスキーのプロショップなどという狭きマーケットでのチャレンジである。紆余曲折を経て、20世紀を何とかクリアしてから、カラファテは漸進的な上昇基調に入ることができた。支えてくれた皆様にあらためて感謝申し上げたい。
また、パタゴニア日本支社とは兄弟のように目白で一緒に歩んだ30年間でした。30周年おめでとうございます。
今でこそ目白を歩く10人にひとり?ぐらいはpatagoniaマークのウェアを着ているようだが、30年前のパタゴニアをライフスタイルとして着こなす人はごくわずかしかいなかった。パタゴニアはアルパインウェアであり、山登り一筋の若者には手が出ない高根の花だった。創業時のマネージャー阿部カズマサはわたしの銀座時代の同僚。目標到達と現実のギャップに、たぶん、日夜苦労したと思う。
創業から5~6年、パタゴニア目白スタッフとは事あるごとにいっしょに遊び歩いた。何しろ新しい遊びに憧れて、その世界をビジネスで成功させたイヴォン・シュイナードの会社に入ったスタッフである。みんなアメリカン・アウトドアのあたらしい流れには敏感な人ばかりだ。カラファテではカラファテクラブの名で、夏はフリークライミングスクール、冬になるとテレマークスキースクールを開いた。パタゴニアのスタッフは常連となった。カルロス笠原、青木ショウジ、森ヒカリ、ダラン・ビョークマン、小池マサコ、浅賀チカコ、井熊エリコ達とはテレマークとフリークライミングに、少し後で、長岡さん、徳地さん、吉野さんも加わった。インストラクターはカラファテ自前で、クライミングの石橋マサツグと川辺ヨシコ、テレマークの方は北田とその仲間たちが引き受けた。その後、名クライマーの柘植ちゃん、柴田センパイ、もスタッフに加わった。
矢村勝之さん(2018年11月逝去)がパタゴニア営業部に入ってきたのには大変ビックリした。何しろ80年初頭から一緒にテレマーク協会の中で活動してきたごく身近な人だったのだ。矢村さんが入社してすぐに、それまで志賀高原テレマークスキー大会だったものを「Patagonia Cup」として大々的に展開することになった。イヴォンさんやポール・パーカーまで参加して大会は最高の盛り上がりを見せた。ワイルドターキー テレマーク グランプリ シリーズは年間10戦以上あり、シーズンに入ると毎週のように雪の上で仲間たちと再会した。テレマークスキー協会会長だった矢村さんはもちろん、役員としてあるいは選手として、森ヒカリ、カルロス笠原、青木ショウジ、そして北田も土日のたびに店を留守にして参加した。テレマークスキーを中心にパタゴニア目白もカラファテも一番輝いた時代だった。
矢村さんはまた海の男でもあった。当時流行り始めたシーカヤックの普及に努め、テレマークの仲間たちも夏になると海に引っ張り出された。坂口さん、永田さんもパドラーだった。矢村さんを中心に海・山・雪のウェアとしてパタゴニアは急速に全国に広がった。
30年前の目白から始まり、今やpatagoniaブランドは日本でも最もあこがれのアウトドアブランドのひとつになった。私が最初に購入したパタゴニア製品は1980年にアラスカの店で手に入れた赤いバンティングジャケットだ。パタゴニア目白店の初代マネージャーになった阿部チャンは70年代からあのラクダ色のパイルジャケットと分厚いクライミングパンツを履いていた。
当時のパタゴニア製品はごく限られた製品しかなかった。しかし、そのどれもが今までにない新しい素材感をフルに生かした虚飾のないデザインだった。カタログが素敵だった。素晴らしい写真の数々にイヴォンさんの夢や世界観がしっかりと見てとれた。パタゴニア日本支社の創立に集まったスタッフはたぶんイヴォンさんのその世界に触れたくて集まった人たちだ。今その創業時からのメンバーで残っているのはたぶん篠さんだけかもしれない。たくさんの人たちが目白に集まりそして去っていった。彼らはそれぞれが様々なジャンルで自分の世界を作り、いまでも活躍している。
世界は常に変化し続ける。30年前、パタゴニアもカラファテもその変化についていこうという順方向は採らなかったと思う。自分たちが遊びの中でつかみ取った新しい価値観をそれまでの社会にぶつけてゆく。テレマークもフリークライミングも追いかけるのではなく、素朴で、開拓してゆく楽しみがいっぱいの時代だった。そんな時代から、好きな道具に囲まれ、新しいたくさんの出会いがあり、生活をし、遊びを続けられたことに、30年経った今、あらためて感謝したい。
(記憶が定かでないため、個人のお名前をカタカナ表記にしたり、仲間意識から敬称を略させていただいた箇所があります。)