最悪の発想
「狂気は必要じゃないけど、助けにはなる」というのがタイの口癖だ。長年にわたる僕たちの無謀な遠征が何度この言葉で語られてきたか……は、もう数えても無駄なので止めていた。そのときは、とにかく現況を生き延びることに集中しようとしていた。
ランニングらしき行為はすでに何時間も前に終わっていた。日は差していたが、寒かった。氷点下32 度という寒さだ。僕たちが向かっていた暖を取るための山小屋へとつづく道は、数キロ前で整備も途絶えていた。午前中に2 台のスノーモービルが追い越して行ったものの、その軌跡も役には立たなかった。僕たちの体重を支えてくれたかに思えた軌跡はときに何の前触れもなく、片脚を股までズボッと雪のなかへと吸い込んだ。雪面に残ったもう片脚を雪に埋もれさせないよう、なんとか脚を抜き出すために格闘するのは、体力を消耗した。
暖かいタイの家を出たのは8 時間前。トラックの荷台はまるで北極探検にでも出かけるように詰め込まれていた。だが僕たちが目指すのは北極ではない。遠征の目的はランニング。しかも12 月のワイオミングでの。グレイズ・リバー山脈の全長を自分の足で走ってトラバースするという発想が生まれたのは、とある8 月の灼けるように暑い日だった。あの日タイと僕はこの山脈で長距離ランニングを試みたのだが、心身ともにボロボロになり、結局ヒッチハイクで戻る羽目になった。もしかするとそのとき熱に頭をやられていたのかもしれない。だから冬なら山脈を縦走するのが楽しいに違いないと確信したのだ。そう、真冬に。
どうして体が一向に温まらないのかわからない。かれこれ1 時間も上りを走っているというのに。僕たちは小さなそりとPVC パイプで作った手製のプルカにロープを付け、それを2 つのカラビナで腰のベルトに取り付け、引きずっていた。プルカはそれほど重くはなく、たぶん7 キロ前後。そのなかには旅のために準備したギアのほとんどが、ダッフルバッグいっぱいに入っていた。僕は何枚も重ね着し、インサレーション入りジャケットを着たうえに巨大なミトンもはめていたが、それでも寒さは鼻孔と喉をヒリヒリさせ、髭は太い氷柱と化していた。コミッサリー・リッジの頂上に着くと太陽が顔を出し、少し体が解凍できたので、ジャケットのジッパーをわずかに開けた。
真冬のワイオミングの原生地域の奥深くで、凍えないようにのろのろと上りを進むうちに形成されたしかめっ面は、尾根に着くとあっという間に溶け、歓喜の叫びと笑い声があふれ出た。そしてプルカは尾根からの900 メートルを下る格好の手段となった。頂上に立ったタイと僕は各自のダッフルバックにまたがると軽く蹴り上げて弾みをつけ、猛スピードで滑走した。あとになってGPS を見ると、ダッフルバッグを結びつけた安物のプラスチック製のそりに乗って時速48 キロが出せるということが判明した。ある場所ではあまりの面白さに繰り返し上っていき、絶叫しながら何度も滑った。
初日は10 時間で32 キロ進んだ。もちろん立ち止まって写真を撮ったり、尾根からのそり滑りも5、6 回はやったりしたが、それにしても1 日の大半を費やしたのは、雪に埋もれた脚を引き抜きながら進んだ13 キロだった。実際3 日間の旅で約113 キロ移動し、そのうち32 キロは脚を股まで雪に埋めながらの前進だ。遠征中の最高気温が氷点下17 度だったことを考えると、四肢を失わなかったのは文句なしの大成功と言える。これは狂気だろうか。意義を唱えるつもりはない。しかし最高の旅が最悪の発想から生まれることはよくある。
片脚をもろい雪の層に数えきれないほど突っ込んだある時点で後ろを振り返ると、タイが似たようなおかしな体勢で立っているのが見えた。曲がった片脚の膝は脇の下付近にあり、もう片脚はどっぷりと雪に埋もれている。タイはハァハァと息を吐きながら、「最高!」と叫んだ。
「まったく!」と僕は叫び返した。
このストーリーの初出はパタゴニアの2016年秋カタログです。本カタログはパタゴニア直営店で無料配布中。