解体
汗まみれの体にホールバッグを担ごうともがくと、それはブタのごとく甲高い抗議のうなり声を上げた。俺はそれよりもさらに大きなうめき声で対抗する。1か月のビッグウォール遠征に必要なロープ、カム、ピン、ビーク、ポータレッジ、テント、食料、燃料、その他諸々を詰め込んだ30キロ以上の重みが、背骨に深く食い込む。俺はすでに、同じようなホールバッグを担ぎ、ベースキャンプまでの約25キロメートルを2往復していた。そんな重荷を背負った俺たちは皆、花崗岩の上で膝をよろめかせ、疲労困憊で重い足を引きずっている。
「あれを見ろよ!」と誰かが興奮して叫んだ。パタゴニアを象徴するトーレス・デル・パイネのビッグウォールが岩だらけのモレーンから突き出し、雲ひとつない青空にサメの歯のようなギザギザの輪郭を描いている。どの面も険しい花崗岩と雪で形成され、尖峰がまぶしい太陽に向かって900メートルもそびえている。俺たちは喜びと信じられない思いで喚声を上げた。1年以上頭のなかを占領してきた岩壁の下についに立ち、夢が実現するのを感じる。いよいよ登攀だ。
翌朝目を覚ますと嵐のなかだった。雪は絶え間なく降りつづけ、はるか上空に隠れた山頂では風がジェットエンジンのごとく轟々と唸り、キャンプ地周辺の巨礫の氷柱からは水が延々と滴っている。止むのをひたすら願うが、その気配はまったくない。1日が過ぎ、2日が過ぎ、3日が過ぎる。雪や風から身を守る洞窟が慰めとなり、そこで俺たちは温かい飲み物をすすり、歌を口ずさみ、女の子について話し、クロスワードパズルを埋め、タバコを吸い、ジョークを飛ばし、そして嵐が止んだら実践する夢の登攀を熱く語った。
ポタッ、ポタッ、ポタッ。解ける雪が花崗岩の仮住まいに単調にこだまする。しばらくすると話すこともなくなり、黙って読む本のページをめくる。パラッ、パラッ、パラッ。点火したキャンプ用バーナーのシューッという唸りが沈黙を破る。やっと夕飯の時間だ。すると洞窟に突風が吹き込み、パスタの上に雪しぶきの粉チーズをどっさりかけていった。それでもとにかく食べる。
晴れ間がのぞいたので、急いでルートの偵察に向かった。やっと行動開始だ。意気揚々と岩壁に向かって氷河をよじ登っていった。しかし、期待したルートはクラックが少なく、岩質も脆い。あきらめて別の岩壁まで歩いて様子を見にいくと、尾根に吹きつける強風により顔から崖錐に転倒させられ、結局キャンプ地に追いかえされてしまった。嵐がふたたび猛威を振るう。
洞窟には濡れた靴下とバーナーのガスの悪臭が漂う。俺はポジティブなスピリットを保とうと努力するが、とうとう、そしておそらく必然的に、それがはじまった。我慢は限界を迎え、マンネリ化した習癖はもはや耐えがたいものとなる。提案は命令のように、質問は要求のように聞こえはじめる。お互いの距離は腕の長さほどしかないというのに、まるで別々の惑星にでもいるかのように感じられるときさえある。俺たちはいがみあい、ブチ切れる。そして塩をめぐって喧嘩する。たかが塩ごときに。俺は自分のテントで横になり、結露がポタポタと寝袋の上に落ちるのを見つめた。何もかもが湿っぽく、万事が悪化している。風が激しく吹きつけ、テントの支柱を曲げて継ぎ目を引っぱる。すべてバラバラになってしまいそうだ。
吹雪はさらに4日間つづいた。これほど最悪な天気は体験したことがなかった。雪はあたりに1メートルほども積もり、洞窟のなかで分厚い靴下とインサレーション入りのブーツを履いているにもかかわらず足の感覚が麻痺する。ほとんど動いていないのに、どんどん離れていく。そもそも俺たちはたいして親しかったわけじゃないのかもしれない。たしかにアメリカを出たときは友人だった。しかし考えてみれば、俺がそれまでに何度もクライミングをしたことがあるのは1人だけで、チームの半数についてはよく知らなかった。そしてそんな俺たちが何週間も密接に一緒に過ごすとどうなるか、ということも。旅のはじめに口論がいくつか発生したとき、じつはチームの相互関係について疑いがよぎったのだが、それでもパタゴニアに来る、はるか彼方の山脈で新たなルートを登る、という夢を果たすチャンスにひどく興奮していた俺は、なんとかなるだろうという自信があった。だがもしもっと注意を払っていたら、俺はその自信がただの身勝手なうぬぼれだったと気づいたはずだ。
どうしてもビッグウォールの初登に挑戦したい俺は、それでもプッシュしつづける。皆はどちらかに決めかね、リスクが大きなビッグウォールの代わりにアルパインスタイルで小さめの課題を狙うべきだと言う。俺はその考えは間違っていると思い、とことん嫌な奴のごとく、それを皆にも知らしめる。あんなに苦労して立てたプランをまるっきり変更するなんて論外だ、と。俺は隣にいるパートナーたちよりも、数キロ先の岩壁のことを考えていた。彼らの気持ちに気を配ることもなく、自分の欲望のことしか頭になかった。驚くべきことにはこの場に及んでも、そして愚かにも、俺はいまだに天候が回復すればこの険悪な状況をすべて忘れ、登攀を開始できると期待していた。
しかし俺は何も登らずに終わることになる。数日後、渦巻く雪の中に立つ俺たちは、終わっていた。他の皆は帰ることを希望し、俺に面と向かって、一緒に登るのは嫌だと断言した。彼らを見つめかえすと、そこにあるのは幻滅と怒りだけだった。俺はしどろもどろに謝るとその場を去った。そしてテントのなかで、この状況に至った過程の一瞬一瞬、自分本位の一瞬一瞬を思い出して泣いた。やがて彼らが夕飯に呼びに来た。俺は腹が鳴っているのが聞こえないことを願いつつ、食欲がないと伝えた。俺たちはこのビッグウォールを登ることをずっと夢見てきた。しかし登攀が実現しないこと、そしてそれは他の誰かのせいであるよりも、概して自分のせいであるということを、身にしみて感じはじめた。俺は腹わたをえぐり取られたような気分だった。その理由の一部は登攀に挑めないということにもあったが、大部分は山頂への夢に溺れていた自分が、どれほど友人たちの感情を無視してきたかに気づいたからだった。
翌朝、目が覚めるとあたりは静まりかえっていた。風もない。テントから頭を出して暖かい日差しを顔に感じ、雪解けの地面の匂いを嗅ぐ。申し分のない朝で、天気予報はこの先1週間の完璧なクライミング日和を伝える。ホールバッグに手つかずのクライミングギアを詰めて背中に
担ぎ、俺はゆっくりとトレイルを下りはじめる。
帰りも長い道のりだ。
2016年のマウンテン・カタログより抜粋。この遠征資金の一部はアメリカン・アルパイン・クラブの「コップ-ダッシュ・インスパイア賞」提供。