愛すべきクライミングバカ、今井健司
ネパールヒマラヤ、チャムランという山の北壁に魅せられた今井健司は、その壁の基部にいくつかの痕跡を残したまま、姿を消した。ヒマラヤの壁のソロ。それが夢だったという。いつもワイワイと楽しく登っている姿からは、まさかそんな夢を抱いていたなんて、想像さえできなかった。ぼくの知らないケンシがまだまだたくさんいたのだと、思い知らされた。
ケンシとの付き合いも、かれこれ10年近くになっただろうか。はじめて会ったのがいつだったか、もうすっかり忘れてしまった。2年前、ぼくの家から直線距離にすれば1キロもはなれていない場所に、一家で引っ越してきた。朽ち果てかけた(少なくともぼくにはそう見えた)古い家は、ケンシの手によってみるみるうちに立派な城に生まれ変わった。
ご近所さん同士となってからというもの、ぼくはことあるごとにケンシをクライミングに誘った。突然のお願いでも、いつだって快くパートナーを引き受けてくれた。どれだけ暇なんだとは思わないでほしい。ケンシもクライミングを中心とした生活を送っているだけだ。瑞牆山には一緒によく出かけたし、それこそ家の近所の開拓エリアに行けば、手付かずの岩にラインを見いだし、黙々と掃除をするケンシをちょくちょく見かけた。その姿を見れば、誰だってケンシのクライミングに注ぐ愛情の深さを理解できただろう。クライミング人気が高まり、どの岩場も賑わいを見せる昨今でさえ、ちっぽけな無名のラインにエネルギーをぶつけるクライマーはそれほど多くはない。ましてや巨大なヒマラヤの壁までもとなるとなおさらだ。
12月の瑞牆山。シーズンのとっくに過ぎ去った寒風吹き荒ぶ岩壁のなかで、ヘッドランプを灯して、しつこくトライするケンシの姿を思い出す。こっちは狭いテラスにぶら下がり、見るからにサイズの合わないヤツのSサイズのジャケットを無理やり着込む。それでもなお抗えぬ寒さにガタガタ震えながら、ビレイを引き受けた。
「すみません、あと一回だけいいですか!?」
結局その懇願は、何度も繰り返されることになった。それでもつい、
「よしガンバレ」
と声を掛けてしまうのはなぜなのだろう。夜8時を過ぎてようやく地面に降り立ったときには、べつにぼく自身が登ったわけでもないのに、妙な充実感を覚えたものだ。ちなみにケンシは結局そのピッチを完登できていない。だけどそんなツッコミどころを残してくれるのもまた、魅力といえば、そうなのかもしれない。
真っすぐな男だ。曲がったことが大嫌いだ。違うと思ったことに対しては、たとえどんなに目上の人間であっても自分の主張を貫いた。一方、根っから優しい人間でもあった。懇切丁寧に人と接する姿は、誰からも愛された。何事もきちんと最後までやり遂げた。いい加減なぼくは、一緒に仕事をしていれば面倒なことはすべてケンシがやってくれるから助かった。仕事が落ちついたのを見計らい、残りすべてを丸投げしてボルダリングに出かけたことは、一度や二度ではない。
ぼくたち一家は、近所の温泉で交わす今井家との時間が好きだった。風呂上がり、互いの息子たちはその辺でキャッキャと駆けまわり、妻たちは井戸端会議。それを横目に、ぼくたちもクライミング談義を交わす。ケンシの屈託のない笑顔と、口から突いて出る山に対する熱い思い。いまでも、温泉の玄関口でまたひょっこり会いそうな気がしてならない。いつものように薄汚れた青いナノパフジャケットを羽織り、今日登ってきたルートの話を意気揚々としながら……。
ケンシの見つめる視線の先には、いつだってとりわけイカした山や壁があった。ぼくもそれを追いかけてみたい。これからもずっとこの地に住み、ケンシの愛したクライミングをつづけたい。いずれまたどこかで会えるのだとしたら、ぼくはケンシが羨むくらいの自慢話をしたいと思う。安らかに眠れ。