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スコットランドのベン・ネヴィスの「ジェミナイ」で出口を探るジョン・ブレイシー。Photo: Kristo Torgersen
スコットランドのベン・ネヴィスの「ジェミナイ」で出口を探るジョン・ブレイシー。Photo: Kristo Torgersen

ウィスキー・オン・ザ・ロック:スコットランドに答えを求めて

By クリスト・トーガーセン   |   2015/06/01 2015年6月1日
スコットランドのベン・ネヴィスの「ジェミナイ」で出口を探るジョン・ブレイシー。Photo: Kristo Torgersen

スコットランドのベン・ネヴィスの「ジェミナイ」で出口を探るジョン・ブレイシー。Photo: Kristo Torgersen

「それはスコットランドの最高峰ベン・ネヴィスに降る雨、あるいは雪としてはじまる。雨あるいは解ける雪は薄い泥炭土を花崗岩に到達するまで染み出し、先に進めずに、コイレ・レイスかコイレ・ナ・システでふたたび出現するまで表面下を流れる。海抜900メートルを楽に超えるこれら2つの山岳湖から流出する水は、ベン・ネヴィスの険しい北壁の青とピンクの花崗岩へとこぼれ落ち、オルト・ナ・ヴーリンと合流してベン・ネヴィウスとカーン・モル・ディアーグに挟まれた谷間へとつづく」 —ベン・ネヴィス蒸留所

こんな詩的な言葉がゴールドメダルを獲得したスコットランド最古の合法的な蒸留所のウィスキーのボトルを飾っている。ベン・ネヴィスは著名なシングルモルトの地であり英国のアルピニズムのるつぼである。ウールのニッカーといういでたちであれ、ゴアテックスといういでたちであれ、ここは何世代ものアルピニストが山装備を開発し、世界の偉大な山脈への遠征のために経験を積んだ場所だ。それは過酷な嵐と「短い」登攀のための長いアプローチでも知られ、スタイルを重視し、「完全なる」冬期のコンディションのみでルートを登るためのごまかしのないスコットランド人の慎重さを要求する。そこはイヴォン・シュイナードがスコットランドの最難ルートで自身を試し、手製の弓なりのピックをもつシュイナード・ゼロのアイスツールをハミッシュ・マッキネスのスコットランド同時期の急角度のピックと比較するために、40年前に訪れた場所だ。そしてそこはまた、パタゴニアの最もテクニカルな製品すべてのフィールドテストを担当するウォーカー・ファーガソンが、最新の試作品を試すモルモットとして僕らを連れて来た場所だった。

僕ら4人は日当りのよいベンチュラで開発したさまざまな新しい中間着とシェルの概念が機能するかについて語りつづけていたが、すべては理論にすぎなかった。これらの試作品を実際に着てみるまではそのパフォーマンスの現実を理解することはできず、究極的に最高品質の製品にするための選択をすることはできないのだ。

イヴォン・シュイナードが1970年にグレンコーを訪れた際の写真を見せるイアン・ニコルソン。Photo: Ian Nicholson Archive
イヴォン・シュイナードが1970年にグレンコーを訪れた際の写真を見せるイアン・ニコルソン。Photo: Ian Nicholson Archive

はっきり言ってアルパインのモルモットになるのは楽じゃない。疲労、苦痛、不快感は当たり前。これに時差ボケとお粗末なスコットランド料理を足せば、士気を高めるために残された唯一のものはウィスキーと仲間意識だ。

到着する僕らを迎えてくれたのは横殴りの雪と4時間の手に汗を握る夜間の運転だった。それから天気などおかまいなしに、5日連続で登った。吹きつづく強風と、ホアイトアウトのコンディションでの登攀とルート探索、そして雪煙と霧氷との戦いに直面しながら、夜明け前に起き、日暮れ後に下山した。僕らは製品の重要な臨界点を経験するため、わざと必要以上に着込み、薄着した。熱くなったり、汗で冷えたり、休憩時には寒く、体温を上げるために登りつづけ、レイヤーを乾かした。濡れた雪がシェルの上で解け、温度が急降下すると凍り、ゴアテックスの鎧のなかに埋葬された。ダウン・パーカに不適切な状況でダウン・パーカを使用し、足には痛い水ぶくれができ、ビレイ中は凍えた身体がふたたび温まる「スクリーミング・バーフィーズ」と呼ばれるおぞましい感覚を味わい、そして疲れたチームの一員が渡渉中に水に浸かる体験をした。

しかしアルピニズムとはそんなもので、それこそが僕らがそれを愛する理由だ。存在すべきではない場所で存在する。必要なものだけを運んで自立する。素晴らしい仲間とそうした経験を分かち合う。クラチャイグ・イン(イヴォンが推薦してくれた地元クライマーのたまり場)でビールとウィスキー、それにホットドッグのフィレのような伝統的なスコットランドの料理ハギスを囲み、さまざまな試作品についての体験を語り合ってその日を終える。ほとんど毎日が典型的に「フル」なコンディションにも関わらず、青空と素晴らしい景色というスコットランド最高の瞬間もあった。

Photo: Kristo Torgersen
Photo: Kristo Torgersen
Photo: Kristo Torgersen
Photo: Kristo Torgersen
Photo: Kristo Torgersen
Photo: Kristo Torgersen
Photo: Kristo Torgersen
Photo: Kristo Torgersen
Photo: Jon Bracey
Photo: Jon Bracey
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Photo: Kristo Torgersen
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Photo: Kristo Torgersen
ストブ・コア・ナン・ローチャンの頂上から見るスコットランドのグレンコーの大西洋の入り江を臨む素晴らしい景色。Photo: Kristo Torgersen
ストブ・コア・ナン・ローチャンの頂上から見るスコットランドのグレンコーの大西洋の入り江を臨む素晴らしい景色。Photo: Kristo Torgersen

帰途につく前、僕らはイヴォンの旧友ハミッシュ・マッキネスの家を訪れた。鍛冶屋のイヴォンとエンジニアのハミッシュは1970年に知り合い、お互いの革新的なアイスツールのデザインへの尊敬の念を分かち合い、ひいては地球最古の人類を探すナショナル・ジオグラフィックのボリビア旅行を含むいくつかの遠征をともにした。

ハミッシュは英国におけるアルピニズムの象徴で、複数のエベレスト遠征(そのうちひとつはクリス・ボニントンと)、ヒマラヤのイェティ探索、ベネズエラのテプイの登攀、ハリウッドのクライミング映画の顧問、山岳救助のための担架のエンジニアリング、そして30冊以上の本を著作するなど伝説的な一生を過ごしている。彼の家は生涯の旅行の記念品であふれ、この日の午後は、ストーリーを語り、故郷グレンコーを案内し、友達に紹介してくれた。ハミッシュは機知に富み、優れたユーモアのセンスの持ち主で、ドン・キホーテのような非現実的なものへの好みをいまも失っていない。インカの金を求めて南米を旅したときのことを語る彼の目の光は、金は探索のための言い訳にすぎなかったことを示していた。

イアン・ニコルソン(右)の家で彼とともに1960年代後期/1970年代初期の革新的なアイスアックスのデザインを披露するハミッシュ・マッキネス(左)。Photo: Kristo Torgersen
イアン・ニコルソン(右)の家で彼とともに1960年代後期/1970年代初期の革新的なアイスアックスのデザインを披露するハミッシュ・マッキネス(左)。Photo: Kristo Torgersen

知識に基づいた自信というものがある。このテスト旅行は僕らの理論を現実にテストする実りあるものとなった。いくつかは認証され、またいくつかは新たな疑問を投げかけた。次のシーズンのデザインと製品化計画を変更すべくベンチュラへと戻り、開発および試作品の追加テストのための時間を考慮しながら将来のシーズンのための新製品を決定した。スコットランドは1800年代後期以来のアルパイン装備のテスト場で、僕らのチームにとっても有益な経験となった。

いま振り返れば、おそらく僕らは50年前にハミッシュのテロダクティル・アイスアックスの革新を着火した氷盤から湧き出たベン・ネヴィスのウィスキーを飲んだのではないか。そして僕ら自身の試作品をより理解/開発するための探求のなかで、将来の世代のクライマーのために樽で熟成していく献酒へと向けて、近代的なアイスツールを振ったのではないか。そう考えざるを得ない。それともただたんに僕はウィスキーに酔っただけなのかもしれない。

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