四度目の大平山
これで四度目の大平山の旅がはじまった。何度目かの長く暗いトンネル歩きも、はじめて持ち込んだブレオのスケートボードのおかげで、通過するのがいまから楽しみで仕方がない。だが今回はベースを設けてじっくりと向き合う計画なので、その分快適性を追求しすぎた大量の荷物運びに苦労している。メンバーは、ここ4年ほど一緒に行動しているパタゴニア日本支社勤務でスプリットボーダーの島田和彦、利尻、戸隠と厳しい山行に同行してきたアフロスポーツ所属カメラマンの松尾憲二郎、一緒に北海道バックカントリーガイズでガイドとして働いているスキーヤーの塩崎裕一、昨年の戸隠にも参加したスキーヤーの中島力と僕の5人。まだ山は見えてはこないが、天気も良くなる方に向かっているみたいだ。そして結果からいうと今回、僕は十分満足できる良いラインを残すことができた。
話はいまから5年前の5月、北海道は道南の狩場山にツアーに行ったときのことにさかのぼる。真っ直ぐな林道を歩いていてふと振りかえると、このあたりでは想像もしていなかった大きなボウル状の地形が目に入ってきた。自分の実力を試せそうだった。そして見た瞬間、あの斜面に、いちばん高い所からより長く険しいラインを引きたいと強く思った。帰ってから調べてみると、厳冬期の滑走の情報がなく、冬の登山の対象にもなっていない。道南というエリアは札幌圏からも遠く、入山するにも長く雪深いアプローチを標高の低い位置からはじめなければならないので、春になるまでは登山者はまだまだ少ない。バックカントリーエリアとしてほとんど手が付けられていないのだ。そんな場所が自分が育った地元にあったことに、すごくうれしくなった。
子供のころは、冬にはまわりはすべて白い山になり、小さい商店街に小さいスキー場しかない自分の町があまり好きではなかった。そうした不便な場所のおかげ でここが開発などの対象にならず、そしてバックカントリーエリアとして開拓もされずに、いままで手をつけられずに残っていたことを思うと複雑な気持ちだ。 ここはきっとこれから先もこのままだろう。だからこれは自分にしかできないことなのではないかという思いが湧いてくる。使命感というか、そんな思いもある けれど、ただ一目惚れした斜面に、誰が見てもかっこいいと思えるラインを引きたいだけだ。それからは毎年どうにか大平山に入る機会を作り、登るルートを替 え、滑るルートを替えて、どこが滑れてどこを抜けると安全に帰ってこれるかを探りながら、少しずつ滑れるエリアを広げていった。
そして今シーズン、やっと満足のいく登りと滑りのラインを松尾のカメラに収めることができた。登りは頂上に向かってダイレクトに伸びる尾根を詰めていき、行程の半分はシールを使って効率よく登って、時間を短縮した。滑りは頂上からのエントリーにはこだわらず、登っているときにいちばんかっこ良く見えた、ウィンドリップ絡みの主稜線から長く伸びる沢筋のラインを選んだ。登りのときにいいと思い込みすぎていたその斜面は、疑わずに入ると、これまででも五本の指に入るカリカリの斜面だった。気持ち良さよりも気持ち悪さの方が勝る一本になったが、その美しい斜面を滑りきったときの満足感はかなり高かった。
はじめて大平山の斜面を見てから5年が過ぎていた。使うギアすべてに軽さや快適さの進化があり、自分の技術の進歩によって、より安全に行動できるようになり、長いアプローチも険しい岩稜歩きも難しく感じなくなっている。一度目に行ったときの高揚感はなくなってしまってはいるが、何度行っても大平山は確実に自分の成長を実感させてくれる。こんなに長い時間をかけてひとつの山に向き合い、開拓したのははじめての経験だったが、その工程はとても楽しく、すべてのことが次のラインに繋がると、しあわせを感じた。
あとどれくらい新しいラインを引けるかはわからない。でも北海道のみならず日本中で、そして世界中で新しいラインを引けたらいいなと思う。そのためには、いい雪が降りつづけてくれるよう、自分たちの活動に起因する地球温暖化問題にももっと真剣に取り組んでいきたいと、あらためて思った。