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子供との釣りで思い出した僕の釣り

玉井 太朗  /  2014年6月28日  /  読み終えるまで7分  /  フライフィッシング, コミュニティ

写真: 玉井 太朗

子供との釣りで思い出した僕の釣り

写真: 玉井 太朗

延べ竿のフナ釣りからはじまった僕の釣り原体験は、そのはじまりから僕の釣りざまを決定づけるものだった。僕の師匠であった祖父の、無言のままに伝わってきたポリシーのようなもののひとつは、大物狙いの延竿一本釣りだった。それには魚にハンデを与えるとか、公平だとか、そんな理屈はなかったのだと思う。思い返すと、羽田沖のアナゴ釣りでも利根川のジャンボハゼでも、リールを使う釣りをした記憶がほとんどないのだ。少し大人になってルアーを使った釣りももちろん経験するようにはなったが、実は今になって気付いたのだけれど、どうも釈然としない何かがあって、結局僕の道具箱の中にはリールがほとんどなかった。

僕がスノーボードのために北海道へ移り住んだというのは、納得してもらえるいちばんの理由かもしれない。だが実は少しニュアンスが違う。僕は子供のころからマスが住む場所に憧れていたのだ。移住後はまず、ニセコ界隈を手当たり次第に歩きまわった。朝まずめから夕まずめまで、ほとんど毎日を河原の藪漕ぎに費やして過ごした。そして内地にいるときはなかなか踏ん切りのつかなかった、リールを使う西洋式毛針釣りを学んだ。はじめは上手く扱えず、苦労して巻いた毛鉤を木の枝やブッシュや河原の石などに散々取られながらだったが、さすがに1日12時間も釣りをしていると、フライが狙いどおりにふわりと着水するようになってくる。当然結果もついてくる。竿の長さに比べて釣針までの長さが何倍にもなる仕掛けやリールに戸惑ったが、キャスティングに慣れて遠くも近くも自在に狙えるその効率の良さに、楽しさを見出せるようになった。

子供との釣りで思い出した僕の釣り

写真: 玉井 太朗

真冬のスノーボードシーズンと台風の接近する四国や九州に波を追いかけるとき、そして何処かへ旅に出るとき以外は、夢中でフライに喰いつくマスのことを考えつづけた。道具の扱いに少々のテクニックが必要なフライフィッシングだが、上手く扱えるようになり、魚との対峙に集中できるようになった。そしてようやく思うままに毛鉤を魚のほしいところに投げ込むことが出来るようになって、しばらくしたときだった。ふとしたミスで針先を折ったことをきっかけに、釣り師としての転落がはじまった。針先のない毛針で釣りをつづけると、ただ魚を騙すだけなのに針にかける必要性がなくなってしまった。それからしばらく針先を落とした道具で川を歩きまわったが、魚を見つけてその魚が自由に振舞い、警戒心のない姿を見たとき、僕はとうとう釣りをする必要もなくなってしまった。キャスティング練習用のラインまで用意して幾度となくロッドを振る練習もしたが、魚を針にかけないのならば、いくつものリールやロッド、それにさまざまな糸や毛鉤をたくさんのポケットに詰め込んで歩く必要もなくなってしまった。それで僕はとうとう釣りをやめてしまった。そしてそれから10年以上の月日が流れ、好きで好きで仕方なかった釣りのこともすっかり忘れてしまった。

そんな僕にふたたび釣りを思い出させる出来事があった。子供を授かり、その成長に一喜一憂し、彼が自転車に乗れるようになったころだった。札幌の沼地周辺の田園地帯でフナが釣れることを知った。フナ釣りは僕の自然との関係において媒介役となってくれた大切な体験だ。僕はその楽しさを子供と分かち合うことが出来る素晴らしさを思い出し、すごくうれしくなった。道具もたいしたものは要らない。竿は適当なバランスがある延べ竿に、竿の長さより少しだけ短めの道糸に小さな浮子とオモリ、そして先端に針が結んであるいちばんシンプルなもの。餌はキジと呼ばれる、いわゆるミミズ。その仕掛けを水路の地形を読んでフナたちの通り道に待ち伏せするように仕掛ける。そのときに重要なのは水の流れや魚が通るであろう地形を読むというイマジネーション。僕ら親子は河原の草原に座り、むずかしいテクニックなど必要のないフナ釣りをはじめた。そして子供でもはじめられるシンプルな道具のなかに、重要なことを思い出した――延べ竿一本で釣る楽しさを。

子供との釣りで思い出した僕の釣り

写真: 玉井 太朗

子供とのフナ釣り用に手に入れた安物の延べ竿にフライフィッシング用のテーパーラインを結び、様式にこだわらず好きなように毛鉤を作って、近所の小川でマスを釣ることも再開した。そして僕は気がついた。スキーよりもスノーボードの方がよりシンプルであるように、そしてボード一本で波に乗るサーフィンがシンプルであるように、延べ竿の毛鉤釣りが僕の釣りの答えだということを……。そんなある日、パタゴニア社のイヴォンが日本式毛針釣法である「テンカラ」釣りに心を奪われていることを知った。釣りのひとつの究極の形である「テンカラ」釣りは、侘び寂びにも通ずるものがあるのではないだろうか。釣りの世界のシンプリシティ。そんなイメージのテンカラ釣りであるが、日本の一般的なテンカラ竿は大物を狙っていないため、アメリカで使ったものはすぐに折れてしまったと言う。それを元にデザインされたのが

子供との釣りで思い出した僕の釣り

写真: 玉井 太朗

その〈gentemstick〉の営業として働いてくれている僕の仲間の一人。彼と日本中を営業してまわったときのことだ。ヘラブナ釣りには絶好の季節を迎えていた。農業用水の溜池や旧河川の三ケ月湖、あるいは大きな湿地帯や毎日のように行く先々の水辺で、朝方だけ、夕方だけという釣りをした。日本の典型的田園風景が広がる場所が舞台だ。僕は彼に竿と仕掛け、餌、すべてをセッティングして一緒に竿を振った。むずかしいとされるヘラ釣りをほぼ毎日のように。おぼつかない釣り技でも、結果は想像のとおり。本人いわく、「自分は釣りに向いている」

釣りは正しい場所で、正しいタイミングに、正しい仕掛けを落とせばいいのだ。道具がシンプルなら釣りの本質、「その時その場所に存在する」ことだけに集中すれば良いのだ。イヴォンが言う「経験者にも」という言葉には、高価で最高とされる道具も初心に帰ることできっとその道具の性能を発揮出来るようになるという、複雑化した最近の釣りへの警告が描かれているのではないか。

僕は1,500円の延べ竿と自宅前で掘ったミミズを抱え、本当は友達同士で遊びたい息子を誘って、毎週のように釣りに出掛ける。30分も飽きずにつづけることができたら十分なそんな釣りだが、たった一回でも一匹の綺麗な魚がウキを動かしてくれるだけで子供の瞳が輝くことを知っている。それが釣りというものなのだ。

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